龍泉洞とコーヒー
岩手県岩泉町の龍泉洞は、子供のころになんどか訪れたことがある。あれから何十年も経っているけれど、あの光景は記憶のなかに鮮明にのこっている。夏なのに洞窟のなかに入り込むと寒い。美しいブルーの水は透明感がはんぱなく、ずっと奥底まで見えてこわかった。深いと深いほどこわい。見えると見えるほどこわい。ここに落ちたらおぼれるまえに恐怖でショック死してしまうだろう。底知れぬ恐怖感。水のなかでは生きることができないDNAを持つ人間の本能。
脳の片隅にあった鮮明な記憶をたどり、この年になってもういちど見てみたかった。2016年に台風で被害をうけたというニュースも聞いた。地底湖が増水し入り口から大量の水があふれたらしいが、今はもう再開している。
ゆっくりと車で向かい、とちゅうの道の駅で休憩をする。龍泉洞のちかくになると「龍泉洞珈琲」なるものを見かけた。龍泉洞の水で作っているし、コーヒーは好きだから見かけたとたん惹かれてしまった。ブラックとオリジナル(砂糖ミルク入り)があったが、もちろんブラック一択。見た目はすっきりとしていてシンプルなデザインだ。100円で買った。一口飲むと想像どおりの澄みきった味わい。すっきりしているのにコーヒーのコクも感じられる。よくよく缶を見たら、龍泉洞の水は15%使用と書いていた。その水を体内にとりいれた私は、より強く磁力のように龍泉洞へとみちびかれた。「龍泉洞の水をひと口飲むと三年長生きする」と言われているのだが、「龍泉洞珈琲」でどのくらい長生きになったのだろうか。
龍泉洞へ到着。お昼どきだったのですぐ近くのカフェで食事をした。黒豚といろいろ野菜のパスタ。輪切りのレモンがついているとちょっとうれしい。キュッと絞る。それぞれしっかりと味付けがしてあるのでパスタと絡めて食べる。デザートのプチヨーグルトが付いていた。
龍泉洞の入り口。ここの寒さは知っていたのでウインドブレーカー持参、入ってすぐに半袖のうえにはおった。
温度10.9度、湿度92.5%、やはり寒い。洞内総延長は4088メートル、今回の観光ルートは700メートル。半袖ではとても耐えられない寒さなので上着は必須だ。洞内は暗いがところどころライトアップされている。鍾乳洞からポタポタと水が垂れてくる場所もあり、簡易的な屋根がかけられている部分もある。たまに頭のうえにポタッと垂れてきたので、ウインドブレーカーのフードを頭にかぶった。床は濡れているので足をすべらせないよう慎重に奥へとすすんでいく。
透明な水が流れている。
けっこう急な階段もあり上り下りする。鍾乳洞がせまくなっている部分もあるので、頭をぶつけないよう気をつけてすすむ。
あまり観光客もいなかったので快適だった。ブルーのライトアップが幻想的。もう何十年もまえに同じ道を歩いていたのだ。感慨深く不思議なかんじがした。
ぬめぬめと怪しく光る鍾乳洞。H・R・ギーガーを彷彿とさせる。
「亀石」
額縁にいれられた「洞穴ビーナス」
「地蔵岩」
タケノコのように見える、「石筍(せきじゅん)」
洞内にはさまざまな形の鍾乳洞が見られる。亀、女性の裸体のようなビーナス、地蔵、筍など。不確かな形でも、人はなにか意味のあるものだと想像力をふくらませる。あれに似ていると、今まで見たことのある何かに当てはめようとする。ふたつの点があれば目のように認識するし、その下に点があれば顔だと認識するように。夜空にまたたく無数の星を見て点と点をつなぎ形にする。昔の人の想像力の豊かさ。世の中にはたくさんの星座があるが、どうやったらこの形にみえるんだろうというものばかりだ。
水深98メートルの地底湖をのぞきこむとヒヤリとする。すぐ近くに浮き輪もあり、ますますヒヤリとする。何度か訪れたことはあるのだけれど慣れることはない。落ちたらショック死してしまうだろう。しかしどこまでも透明度が高く神秘的で目がすいこまれてしまう。子供の時はロープで作られたゆらゆらとゆれる吊り橋があったと記憶していたが、それはなくなっていた。
出口が近づいて来た。洞内は年間を通じて一定の温度を保っているので、天然のワインセラーとして使われている。なんとなくおいしそうなかんじがする。
あまりの湿度にデジカメのレンズがくもってしまった。天然の幻想的フィルターだ。
外に出てもこのありさまだが、しばらくほおっておきたら自然になおったのでよかった。私も全身に龍泉洞の湿気をかぶった。これでもう少しは長生きするのだろうか。