見知らぬ人
休日の朝飯前にジョギングをした。ジョギングは数年続いている日々の習慣だ。近くの公園まで走り、周回コースをまわり往復して帰ってくる。緑の自然が豊かな公園は広々として快適なので定番のコース。ひとまわり2kmの周回コースを何回まわるかで時間は変わってくるが、トータルで45分か一時間くらい。
その日の朝は曇り空でそれほど暑くなく走りやすかった。45分走り自宅マンションへ着いた。背中は少し汗ばんでいる。エレベーターにはのらず、非常階段で仕上げをする。これがなかなかいい運動になる。
各階には階数の数字プレートが大きく貼ってある。今は2階、トントンとあがり3階……。白い壁につや消し銀色の数字プレート。ちらっと見ながらあがる。自分の家は5階、日常的に使っているから数字プレートを見なくともだいたいの感覚でわかる。考え事をしていると6階まであがってしまう、もしくは6階の途中まであがってしまうこともある。重い荷物を持っているときは「そろそろ終わり?あぁ、まだ4階だ」てのが何回もあった。
非常階段を使う人に会ったことはない。その日は階段を一歩一歩あがっていたら、1階のドアをキイと開ける音がしてきた。「珍しいな」と思いながら5階へ到達した。
自宅ドアの前につき、ポケットから鍵をとりだしドアの鍵穴に差し入れた。しかし鍵が回らない。もう一度試したが回らない。「え、どうして」と焦った。鍵穴にはぴったりとささっている。鍵を抜き、よく見てみた。欠けや曲がりなどなにも異常がない。もしかしていたずらで鍵穴に接着剤をいれられたか?と見てみるもそんなことはない。
暑くてうっとうしいマスクを片耳にかけたまま外す。片手に持っていた1階のポストからの雑多なチラシを乱暴に新聞受けにつっこむ。あぁ、もう、厄介なことになってしまった。
なんども鍵穴に差し入れ回そうとする。かたい。ガチャガチャとドアノブを引く。開かない。何回やってもだめだ。最悪なことに日曜日だから常駐の管理人さんもいない。夫はたまたま休日出勤で家にいない。近所付き合いもなく頼れるひともいない。ジョギングにいくときはスマホも財布も持っていない。あるのは開かない鍵と、汗ばんだトレーニングシャツと途方にくれた私の顔だけだ。
ムダなあがきと知りながらも、結局5分近くもガチャガチャとやっていたその時。ガチャっと軽くドアが開いた。メガネをかけた見知らぬ男性だった。「え、わたしの家に、この人はだれ?」と思うと同時に「管理かなにかの業者を頼んだっけ?」と頭のなかですばやく記憶を思い出そうとした。自分の家のなかに、見知らぬ男性が入り込んでいる。そんな不可解な謎が渦巻くが、午前中の平和な光のなかでは、まったく怖さはなかった。
その男性はやさしそうな顔で「お部屋、お間違いではないですか」と言った。「えっ!」すぐさま周りを見渡した。いや、はじっこからこの場所だから何も間違っていないじゃない。「あ、階数を間違ったのか!」と気がつき、すぐさま「すみません!間違えました!」とぺこぺこして謝った。ここは4階だった。「よくあることですから」と男性。やさしい人でよかった。しばらくガチャガチャやられて恐怖だったろうな。
そういえば以前、ドアノブをガチャっと引く音でおどろき、玄関に出てくと見知らぬ男性が立っていた。私を見るなり「間違えました」とサッと去っていった。そのとき私は「ほんとか?留守狙いの不審者では」と腑に落ちない気持ちになっていた。そんな自分の家を間違えるわけないでしょう、と。しかし私も同じことをしてしまった。
なぜ間違ったのか。私のほかに非常階段を使う人がいて珍しい、と考えごとをしていたからだった。