なにかの気配

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都内のとある会社で働いていたころ、ごくまれに土曜出勤をしていた。これは自主出勤で「仕事が立て込んでいるから、少し進めておいたほうが安心だな」というときだけだ。 休日出勤する人は少ない。

会社のビルはなかなか広く、それぞれの机にはパソコンがあり、部署ごとに7、8人ほどのブロック、そのブロックは5、6程度あったと思う。壁沿いに本や資料の本棚があり、大きなコピー機が置いてある。1階は営業のフロア、2階は私たちのフロアだった。

 

平日はあわただしく雑然としたフロアも、休日になると潮が引いたようにシンと静まり返っている。天井の蛍光灯は自分がいる場所だけを照らす。窓からの自然光に照らされた人のいないデスクは、ほっとしてくつろいでいるように見えた。デスクだってたまには休みたいにちがいない。遠くの人のいないフロアはやや薄暗い。このしずかな空間が落ち着く。人がいないとだれにも邪魔されないし気楽でいい。

 

その日の土曜出勤は、私の他にもうひとりふたりだったか、とても少ない人数だった。「さあ、はやく仕事を片付けてしまおう」とパソコンに向かった。この環境なのでとてもリラックスしてすすめることができる。数個隣の同じ部署の同僚と、たまに会話をする程度で、あとはもくもくと仕事をすすめていた。

 

しばらくして、階段をのぼってくる「タッ、タッ、タッ、タッ」という音がしてきた。規則正しい人間の歩く音だ。「あ、だれか休日出勤してきたな」しかしいくら経ってもフロアに入ってこない。おかしいなと思ったけど、さほど気にせず仕事をすすめた。

 

またしばらく経ったら「タッ、タッ、タッ、タッ」と音が聞こえる。けれども誰も入ってこない。何時間ものあいだにその音は何度も聞こえた。これはおかしい。けして空耳ではない。どう聞いても階段の音なのだ。同僚に「階段をのぼってくる音聞こえたよね?」と聞いたら、やはり同じように聞いている。もちろん1階の営業のフロアには誰もいない。

 

それだけではない。ときどき「パシッ」「バシッ」と乾いた音がフロアのなかで聞こえた。何度もはっきりと聞こえた。フロアの端に独立した役員室があるが、そこから明らかに人がいる物音のような「ガサッ」と大きな音も聞こえた。もちろんそこには鍵がかかっているし誰もいない。「今聞こえたよね?」「うん」と同僚は言う。

 

「え、これってラップ音じゃないの?」ラップ音とは心霊現象で、霊力の強い場所、心霊スポットや自殺の名所で聞こえるという。私は霊感はないし、それまでラップ音を聞いたことがなかった。しかしそれは聞くなり「ラップ音」だと思った。

ちなみに木造の新築住宅では、心霊現象ではない「ラップ音」のようなものが聞こえることもある。温度変化で木材が乾燥する時に音が聞こえるという。

 

後日、何人かの同僚とその話題になった。そのほかにも怖い体験した人がいた。彼は深夜まで残業していて最後の戸締りをし、トイレに入った。なにかに気づきゾッとして急いで用を足して逃げ帰ったという。その肝心の「なにか」がなんだったか忘れてしまった。推測するに、誰もいないはずのトイレにひとけを感じたとか、見たとかそういうことだったと思う。

そういえばそれで思い出したけど、平日の日中にトイレに入ったら「ジャー」っと別な個室から水を流す音が聞こえた。誰もいなかったから驚いた。その現象は2、3回遭遇した。どれもが明るい日中で誰もいないときだった。ちょっと怖かったけど「故障しているのだろう」と思い込ませた。

 

この話には続きがある。古株の同僚たちがこう言った。「実はこの会社、墓地の跡地に建てたんだよね」。その会社の先輩方はみんな知っている話だった。そうか、色々聞こえていたのは気のせいではなかったのか。

 

 

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