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梅雨は傘の出番だ。数年前に長靴を買ったので雨の日も快適になった。足元を気にせずサッサと歩ける。

 

ファッションにはこだわりはなくブランド物は持っていないが、長年愛用している傘はめずらしくブランドものだ。透明なビニール傘は使わない。使わない、とこだわっているわけでなく、愛用している傘が持ちがよく壊れないからだ。

 

そのころ風水にはまっていたので、その年のラッキーカラーの傘を買うことにした。いつ買ったのか気になって調べて見たら、2007年のことなのでおどろいた。もう13年も経っている。価格は二万円はいかなかったか忘れてしまったが、傘としては高価な金額だった。

 

色はあざやかなオレンジ、持ち手はバンブー(竹)ハンドルで、ブランド名が刻印された金色のちいさなプレートがついている。オレンジ色のタッセルがついていて高級感がある。金具はすべて金色だ。オレンジ色が好きなわけでもないし、あざやかな色は好まずベーシックな色合いを好む。しかしこの傘は飽きない。オレンジ色も雨の日は違和感なく馴染んでくれる。明るい色で気分も晴れやかになる。

 

以前、都内のとある会社でのこと。仕事がおわり、女性の同僚と帰ろうと外にでたら雨が少し降り出していた。「あー雨か、傘がないな」と思っていたら、同僚は外に置いてある他人のビニール傘をサッと手に取りさした。なんの迷いもなくまるで自分の傘のように。突然のことで、なにも悪びれた様子はないので、私はあっけにとられたがなにも言えなかった。

 

それとはちがう会社での話。会社から五分程度はなれた取引先の会社に向かうとき。外は雨が降っていたが、傘を持っていなかった。一階にある傘立てを見るとたくさん傘がある。すこしだけ借りようと透明なビニール傘を拝借した。

 

数分だけの取引先での用事を終え帰ろうと思ったら、その傘をさっと取っていこうとする、知らない男性の会社員がいた。勝手に借りている傘なので取られちゃまずい!と焦った私は「あの、その傘!」と声をかけた。雨降りだから聞こえなかったのか、もう一度声をかけた。すると男性はなんで声をかけられたのかわからないようなぽかんとした顔で「えっ」とした顔をしたが、その後すぐに事情を察し、私に返した。私は傘をさし、自分の会社に帰り元の傘立てに返した。

 

世の中ではけっこうビニール傘を盗む人がおおいのか。今まで一度もやったことないからわからなかった。ビニール傘はなんの特徴もないから盗まれやすい。派手な傘や、なにか特徴のある傘ならそんなことないだろう。盗む心理としては、誰でも持っている目立たないものをとるだろし、その心理はわかる。

 

以前、友だちと電車に乗っていた。駅に到着してすぐに友だちは「あっ、傘忘れた」と言う。見ると電車のなかの手すりに透明なビニール傘を置いたままだ。まもなく電車は発車するけど急いで取ればまにあう。しかし友だちは「まあいいやー」と諦めた。外はもう雨は降っていない。発車のアナウンスがあり、電車のドアは傘を閉じ込めたまますうっと閉まった。もったいないし、捨てられてかわいそうだと思った。駅の忘れ物保管室には大量の傘があることだろう。

 

取り置き期限がすぎた駅の忘れ物は、専門業者に売られ「鉄道忘れ物掘り出し市」が開催されるという。あらたな持ち主に出会えたら、忘れ物たちも嬉しいだろうな。行ってみたい。

 

 

飴玉くれる化学の先生

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高校生のときの化学の先生。メガネをかけて少し無精髭が生え、少し伸びたような黒髪はぼさっとしていて寝癖のあともある。あまり表情を崩さず面白いことを言う、どこかひょうひょうとしたした性格。実験するときに着る丈の長い白衣を着ている。ずいぶんおじさんに見えたけど、卒業アルバムで確認したらまだ30半ばだった。今の私のほうが、当時の先生の年齢をゆうに超えている。

 

卒業アルバムで先生や同級生の写真を見ていると「若いな」と思う。こんなに若かったのか。先生たちはずいぶんと大人に見えたけど、思っている以上に年が若くて驚く。なんの職業でもそうだけど、ずっとその職業についていると「いかにもその職業の顔」になっていく。先生は先生らしい顔、芸術家は芸術家らしい顔、政治家は政治家らしい顔。

長い年月をかけて、日々の習慣が細胞のひとつひとつに染み込み、血肉となり、その人なりの顔かたちを作りあげていく。

 

その化学の先生はオカダ先生といった。オカダ先生は白い白衣を着て授業をすすめる。どんなことを習ったのか。今となってはあまり思い出せないが、元素記号の暗記を一生懸命に覚えた記憶がある。元素記号Hの元素名は水素、Nは窒素、Sは硫黄、Mgはマグネシウム(覚えていないから調べた)。この元素記号を覚えるのに「水兵リーベ僕の船」と語呂合わせで覚えていた。懐かしい。調べたら元素記号118種類すべての語呂合わせがあって驚いた。

 

プラナリアの実験は面白かった。水のなかに住み、体がやわらかい体長2センチほどの細長い生物。すいーっと動く。白目と黒目のユニークな目(レンズはなく光を感じることができる)。いくつに切断しても、そのそれぞれが再生し増殖する。実験では透明なシャーレに入れ、切断され再生するプラナリアを見ることができた。

 

学校では日頃のテストのほか、期末テストがある。全教科のテストなので勉強は大変だった。期末テストの結果はこわいけど、気になるからはやく見たい。今日は化学の期末テストの答案がかえって来る日だと、みんなはドキドキしながらオカダ先生の到着を待っていた。

ガラッと教室の戸があき、白衣のオカダ先生が入っている。あれ、手に何も持っていない。クラス全員分の答案用紙だから、それなりの厚みがあってかさばる。「なんだ、今日は返してもらえないのか」とみんなは「あーあ」と言って心底がっかりした表情。

 

するとオカダ先生は「テストの結果を返します」と言って、手に答案用紙を持っているじゃないか。「え!」手品みたいでいったいどこから出したんだととみんなは驚いた。種明かしは、後ろのズボンに入れ白衣を着て隠して持ってきたのだった。これは何度か繰り返していたから「また白衣で隠して持っているんじゃない」と生徒たちにネタバレするときもあった。

 

ちょっとしたテストをやって、一定の点数をとった生徒には飴玉をくれた。白くてまんまるで、陶器のようにかたい、砂糖だけでつくられた飴玉。カラフルでしゃれた飴玉ではなく、飾り気のない無機質な外見はまるで化学の実験に使われるような姿をしている。オカダ先生はやはりこういうのが好みだったのか。

 

小包装ではないので、オカダ先生は袋を差し出し、生徒は手にのばしひとつもらう。砂糖だけのほのかな甘さ。かたいのでなかなかなくならない。これはただの飴玉ではない。授業中に先生公認で食べる飴玉は、禁断で甘美な味だった。

 

 

シールをくれる国語の先生

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小学校、中学校、高校と進み、さまざまな先生と出会った。学年が変わるたびに先生も変わる。今まで何人の先生と接してきたことだろう。すべての先生は思い出せないけど、今でも印象に残っている先生がいる。なにか特別なことがあったわけでもない、ささいな出来事を覚えているものだ。

 

小学生のころ、シール集めが流行った。男の子は「ビックリマンチョコのシール」、女の子はファンシーでかわいいシール。キラッと光るメタリックなものや、ぷっくりとふくれているもの。カラフルな透明で数ミリに分厚いシール、指先ほどのちいさなサイズのもの。

 

友だち同士で交換もして、いろんな種類を集め、ノートや小物、友達への手紙などに貼って楽しんでいた。「なにも変哲もないものにシールを貼るだけでかわいくなる、個性になる、目印になる」実用性はもちろんだけど、「とにかくかわいいシールを集める、できるだけ多く集める」のが目的になっていた。使わなくても、取り出して眺めているだけで楽しい。

 

そのときの小学校の先生。メガネをかけた、中年女性の国語の先生だった。自習になったある日のこと。小学生だからなかなか集中力は続かないけれども、もくもくと自習を進めていた。その場に先生はいなかったのでさぼる子もでてくる。後ろを向いておしゃべりして、ペンを動かす手よりも口を動かすほうが忙しい。

 

そのときだった。ガラッと教室のドアが開いたと同時に「ストップ!」と先生の声が。突然のことで、しかし先生の言葉は絶対だから、すなおにそのままの姿勢でかたまる。ちゃんと自習していた子、さぼっていた子は一目瞭然だ。

 

ちゃんと自習した子には、ひとつシールがもらえる。このシールは本物のシールではなく、包装紙だ。正方形のカタチに点線がかいてあり、そのひとつひとつにイラストが描いてある。お店で買ったときに包んでもらえるただの包装紙。紙だけど「裏にのりを貼るとシールになる」というわけだ。先生はハサミで正方形のカタチに切り、ちゃんと自習をやっていた子にあげる。さぼっていた子にはあげない。もらえない子は心底がっかりした表情だ。

 

その場で切った切りたてのシール(包装紙)、これがとてもうれしかった。自分の順番がくるまでわくわくしておとなしく待っていた。どんなイラストが描いてあるのかは、そのときのタイミングだ。たかが包装紙をシールに見立てたもの。自分が持っているシールは、キラキラしてかわいいものがいっぱいある。けれども自習をちゃんとして「先生から手渡しでもらえる包装紙のシール」は特別なものだった。シールを入れるケースに大切にとっておいた。それは何枚か集まった。

 

かわいい包装紙は、生徒が持ってくるときもあった。「今日は○○ちゃんがシールを持ってきてくれました」と、教壇に立った先生はみんなの前で言う。その生徒は自分の手柄に、すこしはにかんでいる。あのころはピュアな時代だったなあ、とつくづく思う。

 

  

麦茶

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夏といえばやっぱり麦茶。

子供の頃からよく飲んでいた。冷蔵庫を開けると、大きなボトルに入れられた麦茶がひんやりと冷えている。麦茶パックを煮出したもので、いかにも濃いエキスが出ている。背の高い透明なグラスにそそぐ。グラスは黄色やオレンジで描かれた花や、動物のキャラクターが描いてある。実家にはこういったグラスがたくさんあった。

 

東北地方の青森県は、真夏でも湿度はあまりなくカラッとしている。しかし扇風機をつけても、夏特有のむっとした湿度が体にゆるくまとわりつくようだ。クーラーはなかった。まわりの家でもクーラーがある家はなかった。その当時クーラーはなくても大丈夫だった。

 

グラスにそそいだ麦茶をゴクリゴクリ。すこし香ばしく冷えたみずみずしさがのどを流れる。まるで清流が体のなかを通り抜け、清めてくれるようだ。麦茶は体を冷やしてくれる。まさに夏の飲み物。そのうちすっと汗がひく。そのかわりにグラスの表面には玉のような汗がついている。しかるべき時が経つと、その玉はすうっと下に流れ消えてなくなる。グラスの下に敷いたコースターがじんわりとぬれている。

 

今では考えられないが、子供のころは麦茶に白砂糖やはちみつをいれて甘くして飲んでいた。すこし甘くて香ばしい、まさに甘露。透明な琥珀色はなにかのシロップをうすめて飲んでいるよう。秘めた香りをただよわせている花の蜜をすう甘美な蝶々や妖精になったような気分だ。

   

そして今の季節、毎日麦茶を作っている。今はセブンプレミアムの「国産大麦100%使用 むぎ茶 56袋入り」を飲んでいる。お湯だしでも、水出しでもいける。1.5リットル用の麦茶ポットにお湯を少しいれ、麦茶パックをひとつ、時間がたつと濃い色の麦茶のエキスがでてくる。そこに水をいれ冷蔵庫で冷やす。水は浄水器の水を使っている。国産の麦だし安心して飲める。ちゃんと麦茶の香ばしさがあるし、すっきりとした味わいだ。

 

価格は税込170円。500ml換算で約1円ほどだ。安すぎる。こんなに安いと市販のペットボトルなんて買えない(もともと買ってないけど)。麦茶はサッパリしていてゴクゴク飲めるし、ノンカフェインだし、安くておいしいし、いいことづくめだ。

https://iyec.omni7.jp/detail/4902571272151

 

伊藤園 伝承の健康茶 国産はと麦茶 ティーバッグ 30袋

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伊藤園 健康ミネラルむぎ茶 600ml×24本

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  • 発売日: 2016/02/27
  • メディア: 食品&飲料
 

頻尿

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頻尿とは、すぐにおしっこがしたくなることをいう。はい、私は告白します。思い起こせば昔からずっと頻尿だったのだよ。長年の悩みだったけど今では治ったと思う。

 

日本泌尿器学会による頻尿の目安は、朝起きてから就寝までが8回以上。頻尿のときは「え!8回以上で頻尿だって?そんなばかな。それだったら余裕で頻尿だよ」と驚いていた。しかし今ではその回数をこえることはない。自分で意識して治したのだ。

 

なぜ頻尿になったか考えてみると、少しでも尿意を感じるとトイレに行く習慣があったからだ。外出しているときや、会社で過ごしているときは「長時間トイレに行けなくなるから、念のため行っておこう」「まだトイレに行かなくてもいいけど、いつ行けるかわからないから行っておこう」と思いトイレにいく。これをくりかえすと、膀胱が敏感になってしまって、ちょっとの刺激に耐えられない体になってしまうのだ。

 

会社へむかう通勤電車は一時間かかるときもあった。朝起きて何回トイレに行ったことだろう。通勤のときに行きたくなると困るからと心配になって、出がけの五分おきに二、三回は行っていたと思う。当然少ししか出ない。あのときはひどかった。会社に着いてからまっさきにトイレに行って用を足していた。

 

会社ではよくコーヒーを飲んでいた。一気にガブガブとは飲まず、ちびちびと少しづつ飲む。それでもやはりトイレが近くなってしまう。コーヒーには利尿作用があるのは、みんな知っているだろう。コーヒーの量はそれほど多くなくても、一時間に数回行っていたと思う。今思えばあまりに行きすぎだ。コーヒーで敏感な膀胱になってしまうと、コーヒーを飲まなくても、トイレが近くなってしまった。

 

映画館に行くときは、朝から水分を控えめにした。はじまる前、映画館のトイレにはとりあえず一回行き、はじまるギリギリにもう一回行っていた。

映画はたいてい午前中に見ていたが、まれにお昼を食べてから見るときもあった。このときのお昼のメニューにとても気を使う。なるべく水分をとらないように、食後のコーヒーは当然禁止で、食事中もほとんど水も飲まないようにしていた。それでも映画の途中でどうしようもなくトイレが近くなり、途中退場したこともあった。

 

今では映画を見ながら、カフェラテやジュース、水など飲むことができる。ちびちびと飲む。とてつもない進歩だ。ただしブラックコーヒーは無理。あれはほんとにトイレが近くなる。

 

頻尿を治す秘訣は、尿意を感じてもしばらく我慢すること。その時間をだんだんと長くする訓練をする。頻尿の場合、まだまだ膀胱の容量があるのに、すこしの尿でも敏感に感じてしまう。「さっき行ったばかりのに、また行きたい」というのは錯覚だ。トイレに行っても少しのおしっこしか出ないだろう。それではいけない。我慢することに体を慣らしていこう。

 

今でもそうだが、意外と我慢できるものだ。ふとトイレに行きたいと思っても一時間くらいは平気だったりする。おしっこ以外のことに注意を向ける。無理ないよう時間を伸ばしていけば、その気持ちもだんだんと薄れてくる。我慢するとはいっても、あまりに水分をいっぱいとって膀胱が爆発しそうなときは話は別、すぐにトイレに行こう。

 

夜中にトイレに行きたくなって目が覚める。いままで三回ほど起きていた。そのぶん眠りは浅くなるからそれも治したい。「寝るまえに二十分ほど足を高くしておくといい」と聞いたので実践した。寝るまえに寝床に入って読書の習慣があるので、ストレッチポールに足をあげておく。効果は抜群。三回が二回に減った。一度も起きず朝までぐっすり、というのは信じられないけど、そうなるといいなあ。 

 

 

ディアナチュラ ノコギリヤシ with トマトリコピン 60粒 (30日分)

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タンシチューと髪の話

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前回「髪を切る 」を書いた。続きの髪についての話。

もう十数年前の話だが、いきつけのダイニングバーがあった。夫婦でやっているお店で、そこのマスターとの出会いはたまたまだった。デパートで食器を見ていると知らないおじさんが「これシチュー皿に合うかな?」とかなんとか忘れたが、話しかけてきたのだ。同じくお皿を選んでいる同士だ。私はふいに話しかけられると、わりと人見知りせず会話ができる。「いいんじゃないでしょうか」みたいな同意の言葉を返した。

 

おじさんは、ごっそりと十何枚も大きなお皿を買うようだ。「そんなにいっぱい」と驚き、さっきの気楽な会話の流れで「お店か何かやっているんですか」とたずねた。するとその通りでダイニングバーをやっているという。「タンシチューも作っているんだ。よかったら今度来なよ」と、その場で地図を書いて手渡され、気さくなおじさんは風のように去っていった。手にはまるで狐から手渡されたような、宝物のありかが書いてありそうな地図だけが残された。さっきまで見知らぬ他人。こんな出会いもあるんだ。あとで木の葉に変わるんじゃないだろうな。

 

駅から少し離れているけど、バイクで行くとすぐだ。私はフットワーク軽く、次の日のお昼にそのダイニングバーに行ってみることにした。住宅地のなかの細い路地にあるので、知らない人にはなかなかわかりづらい。しかしおじさんが書いてくれた地図の通り行くと、迷うことなくたどり着いた。

 

ドアを開けると、カウンター席の他に、テーブル席がいくつか、カラオケ用のステージもありなかなか広い。この店をやってそれなりの月日が経ってるであろう。整然と並んでいるお酒のボトルやたくさんの透明なグラスが、その空間に居心地よさそうにしっくりと馴染んでいる。お客は誰もいなかった。しかし夜には常連客がお酒片手でにぎわうような、そんな気配が漂っていた。

 

そのお店は夫婦でやっていた。奥さんは綺麗で、おじさんより年が若そうだ。ほがらかな笑顔がすてきだ。私を見るなり、おじさんは「おっ」という顔をした。さっそくタンシチューを頼んだ。たっぷりと濃厚なデミグラスソース、じっくりと柔らかく煮込まれた分厚いタン。付け合わせの焼いたパンと一緒に、あっという間に食べおわってしまった。

 

その日からたまに通うようになった。その時の髪型はわりと長く、胸につかないくらいの長さだった。しばらくその長さだったけど「髪を短く切りたい病」は急にやってくる。バッサリとショートカットにした。

その髪でダイニングバーに行くとマスターは「あぁ、その短いほうがいいよ、サッパリして。女の人は長い髪で顔を隠したがるからな」と言った。うん、わかる。バサバサした長い髪は顔も気持ちも隠すこともできる。少なくと私は気持ちが前向きじゃないとバッサリとは切れない。髪を切ると、心は包み隠すことはなくむき出しになるようだ。

 

あれから十数年前も経っているけど、髪を切るときその時のことを思い出す。そんなことは重要な話でもないのに、ささいなことばかり記憶に残っているもんだ。あのお店はまだやっているのだろうか。

 

 

髪を切る

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ああ、暑い。うっとうしい髪をバッサリと切ってやろう。

夏が近づいてくるとだんだんと髪を切りたくなってくる。首や肩にかかってくると、じゃまくさいし暑苦しい。髪と接した部分はもわもわと熱気がこもってくるようだ。

 

秋冬は寒いので、髪は切らず伸ばしっぱなしのまま。髪が首にかかるとあったかいから。それがあるとないとじゃ全然ちがう。そのうちぽかぽかと陽気な季節の春がきて、じめじめした梅雨がやってくる。こうなると中途半端に伸びた髪が気になってくる。

 

やっと髪を後ろで結ぶことができてスッキリとしたけれど、髪が伸びるにつれて洗ったりドライヤーで乾かしたりする手間がかかる。すこし伸ばしたい気持ちもあるから迷う。さてどうしよう。

 

そうやっているうちに「切りたい」気持ちがむくむくと上回り、夜寝る前に「よし、明日切ってこよう!」と気持ちがかたまった。もう居ても立っても居られない。あぁ、はやく切りたい。首肩にかかる伸ばしっぱなしの髪をバッサリと切ってやりたい。

 

翌日になり朝一番で出かけ、お望み通り切ってやった。あぁ、スッキリした。定番の髪型は、毛先がアゴくらいまでの「ショートボブ」、真夏になると耳が隠れる長さの「ショートヘア」、そのどちらも後ろ髪はすっきりと短い「前下がり」にしている。後ろ髪はいくら短くてもかまわない。

 

今回は「ショートボブ」にした。もっと切ってもよかったかな。次はもっと短く「ショートヘア」にしてやろう。耳が出る短さの「ベリーショート」もずっとまえから気になっているけど、まだ勇気がない。さっぱりと髪を短くするのは気持ちが前向きにならないとできない。

 

秋冬は数ヶ月伸ばしっぱなしだけど、暑いときは一ヶ月にいっぺん切る。真夏になるにつれ、ちょっとづつ短くなる。まぁ限度はあるけど。

 

男の短い髪を見ると「髪がじゃまにならないし楽そうでいいな」「洗う時も乾かすときも楽だろうなぁ」と思う。いいなぁ。そうやっているうちに夏の暑さがひいてきてまた秋がやってくる。そうなると伸ばし始める。秋の空気はカラリとしていて涼しい。そのうちピューピューと乾燥した木枯らしが吹いてきて寒い冬がやってきる。私の髪はすこしづつ伸びている。長い髪はあたたかさを保ってくれる。そうなると男の短い髪は「寒いだろうなぁ、こんなに短くなくてよかった」と思う。なんとも身勝手なものだ。

 

髪の話は次回へつづく。