シールをくれる国語の先生

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小学校、中学校、高校と進み、さまざまな先生と出会った。学年が変わるたびに先生も変わる。今まで何人の先生と接してきたことだろう。すべての先生は思い出せないけど、今でも印象に残っている先生がいる。なにか特別なことがあったわけでもない、ささいな出来事を覚えているものだ。

 

小学生のころ、シール集めが流行った。男の子は「ビックリマンチョコのシール」、女の子はファンシーでかわいいシール。キラッと光るメタリックなものや、ぷっくりとふくれているもの。カラフルな透明で数ミリに分厚いシール、指先ほどのちいさなサイズのもの。

 

友だち同士で交換もして、いろんな種類を集め、ノートや小物、友達への手紙などに貼って楽しんでいた。「なにも変哲もないものにシールを貼るだけでかわいくなる、個性になる、目印になる」実用性はもちろんだけど、「とにかくかわいいシールを集める、できるだけ多く集める」のが目的になっていた。使わなくても、取り出して眺めているだけで楽しい。

 

そのときの小学校の先生。メガネをかけた、中年女性の国語の先生だった。自習になったある日のこと。小学生だからなかなか集中力は続かないけれども、もくもくと自習を進めていた。その場に先生はいなかったのでさぼる子もでてくる。後ろを向いておしゃべりして、ペンを動かす手よりも口を動かすほうが忙しい。

 

そのときだった。ガラッと教室のドアが開いたと同時に「ストップ!」と先生の声が。突然のことで、しかし先生の言葉は絶対だから、すなおにそのままの姿勢でかたまる。ちゃんと自習していた子、さぼっていた子は一目瞭然だ。

 

ちゃんと自習した子には、ひとつシールがもらえる。このシールは本物のシールではなく、包装紙だ。正方形のカタチに点線がかいてあり、そのひとつひとつにイラストが描いてある。お店で買ったときに包んでもらえるただの包装紙。紙だけど「裏にのりを貼るとシールになる」というわけだ。先生はハサミで正方形のカタチに切り、ちゃんと自習をやっていた子にあげる。さぼっていた子にはあげない。もらえない子は心底がっかりした表情だ。

 

その場で切った切りたてのシール(包装紙)、これがとてもうれしかった。自分の順番がくるまでわくわくしておとなしく待っていた。どんなイラストが描いてあるのかは、そのときのタイミングだ。たかが包装紙をシールに見立てたもの。自分が持っているシールは、キラキラしてかわいいものがいっぱいある。けれども自習をちゃんとして「先生から手渡しでもらえる包装紙のシール」は特別なものだった。シールを入れるケースに大切にとっておいた。それは何枚か集まった。

 

かわいい包装紙は、生徒が持ってくるときもあった。「今日は○○ちゃんがシールを持ってきてくれました」と、教壇に立った先生はみんなの前で言う。その生徒は自分の手柄に、すこしはにかんでいる。あのころはピュアな時代だったなあ、とつくづく思う。