3.11

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2011年の3月11日(金曜日)は東日本大震災、ちょうど9年前のことだった。もうそんなに経ったのかとしみじみと思う。月日が経つのがはやく感じられる。わたしもちょうど9年分、年をとった。その日のことを思い返してみる。覚えているからと大丈夫と思っていても、人は案外忘れているものだ。忘れないうちに、ここへ書いておこう。

 その日の14時46分、仕事の真っ最中だった。都内にあるオフィスビルで、パソコンに向かって仕事をしていた。今まで体験したことのない、下から突き上げてくるような縦揺れの大きな地震。こんな衝撃ははじめてだった。携帯電話の「地震です」の警報音が、けたたましくあちこちで鳴った。不気味で不安をかきたてる音だ。誰もが危険を察知し机の下にもぐった。なにこれ、一体どうなるの?

上の階は営業や総務の人たちがいる。非常階段から降りてきて「外に避難してください」との声。念のため貴重品をもって、非常階段から下へ降りる。あたりはオフィス街、地上は同じくビルから出てきた人たちであふれていた。街道沿いに建っている高いビルが、しなやかなゴムのように揺れている。となりのビルに接触してしまうんじゃないか、というほどの揺れだ。目の前の信じられない光景を多くの人たちが見ていた。しばらくして落ち着いたので、仕事場に戻りそのまま仕事を続けた。金曜日にやるべき仕事はたくさんある。営業に用事があったので上の階のフロアに行った。ここにはテレビが設置してある。そこで衝撃的な津波の映像を見た。目を疑った。こんなことが今、日本でおこっているなんて。

結局、その日の仕事はすべて中止との連絡がクライアントからきた。それはそうだろう、仕事をしている場合じゃない。しかし帰りの電車はどうなる?すでにとまっていて、再開のめどが立っていないという。携帯電話も通じない。会社から家まで電車で一時間かかる。どうしよう。電話は通じないが、ネットはどうにか繋がる。当時やってたSNSmixiで友達がオフロードバイクで送ってくれるというコメントを見た。やっとのことで連絡が繋がり、最寄りの駅まで来てもらうことになった。感謝!

 

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外はすでに真っ暗で遅い時間。わたしが帰り支度をしていると、同じ電車の路線を使っている同僚に「電車が動いているんですか」と聞かれた。わけを話すとがっかりした様子で席に戻った。まだ帰宅できない同僚たちがたくさんいる中、申し訳ない気持ちをひきずりながら会社をあとにした。寒い中、無事に友達と合流しバイクの後ろに乗せてもらう。道路は無法地帯だった。自動車はちっとも進まず、その間をバイクが縦横無尽にすりぬける。バイクと友達に感謝した。外は帰宅難民の人たちであふれていた。歩道には、自力で家に帰るのであろう人たちがたくさん歩いていた。今まで見たことのない光景だった。

 

今日の14時46分、黙祷をささげた人はたくさんいただろう。わたしはふつうに仕事をしていて、気がついたら夕方近くになっていた。ふだんと変わらない、あたりまえの生活。このあたりまえがなんて尊いことか。