星がまたたく夜空に

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流れ星が見えなくなるまでに三回願い事をすれば願いは叶う。

 

流れ星は何回か見たことがある。

子供のころベランダに出て夜空を眺めていると、ツイーっと星が流れた。「あっ」一瞬の出来事だった。また流れるかもしれないと眺めていると、ポロリと星が流れた。家族で見ていた記憶があるし、何回か見れたので、その日は流れ星の日だったのかもしれない。

 

大人になってから、今夜は流れ星の日だと友達と車で見にいった。誰といったのか、どこに行ったのか今となってはまったく覚えていない。空はさえぎるものはなく見晴らしがよくて草原がひろがっていた。あたりは見物人がちらほらといた。しかるべき時間がやってきて、星のまたたく夜空を眺めていると、面白いようにツイーツイーっと星がいくつも流れた。

 

そのわくわくする非現実感とロマンチックな夜空は心の片隅にずっと記憶している。またいつか流れ星を見てみたい。

 

流れ星が見えなくなるまでに三回願い事をすれば願いは叶う。流れ星はめったに見られるものではないし、流れるのは一瞬だ。一回でもむずかしいのに三回はとても無理だろう。そのためには常日頃、こうしたいという願望を心に留めておかなくてはいけない。心に留めるから行動もそれを意識したものになり、願望に近づく努力もしているだろう。だから流れ星を見たら、すかさず願い事を言える。だから願い事は叶うと言われるのではないか。

 

故郷の青森を離れ、都内で一人暮らしの日々。当時は故郷を思い出すこともなく、それなりに忙しく楽しく暮らしていた。満員電車にゆられ帰宅は深夜、そんな生活が何年も続いた。

 

人工的な光に照らされた都会の夜は明るい。都会で星を見たければ空ではなく、繁華街できらびやかなネオンの星を見ればよい。明るい空には星は光っていない。弱々しくぼんやりと霞みがかっているだけだ。賑やかな飲み屋で同僚とお酒を交わせば、体の芯にポッと灯がともり、お酒のアルコールで思考肉体ともにゆるゆるとなり癒してくれる。仕事疲れがとれたような気になり、また毎日の深夜仕事に精を出し疲労する。目の前の雑多なことばかり集中しすぎる。そのくりかえしだ。そして夜空を見上げるのはすっかり忘れてしまった。

 

そんな私でも実家には年に二回、お盆と正月に帰っていた。田舎の夜空はペンキでまんべんなく塗り込めたような濃密な暗さだ。外を歩いていた時、ふと夜空を見上げた。

 

そこには宝石箱をぶちまけたような、今にも落っこちてきそうな無数の星たちがピカピカと光り輝く夜空がひろがっていた。オリオン座やカシオペア座がはっきりと見える。無数の星たちが空いちめんに広がっている。そういえば子供のときよく星を眺めていたっけ。すごい。星空に心を奪われ、時間が経つのも忘れてじっと眺めていた。

 

 

銀河ステーション、銀河ステーション。

宮沢賢治銀河鉄道の夜。停車場や泉水や森が、青やや緑やうつくしい光でちりばめられている黒曜石でできた地図。線路のわきに光る三角標。月長石(ムーンストーン)のような、たくさんの紫のりんどうの花。停車中に立ち寄った河原の水は水素よりすきとおっている。河原の石は、中で小さな火が燃えている水晶やトパーズでできている。岩の中に入っている百二十万年ぐらい前のくるみの実。

ばらの匂いでいっぱいのすきとおった奇麗な風。黄金と紅でうつくしくいろどられた大きなりんご。鳥を捕る人が捕まえた鳥を食べてみたい。鳥なのにチョコレートよりおいしいお菓子の味がするという。

 

いつか肉体が朽ち果てた時、銀河鉄道に乗って旅をしてみたい。そのとき「ほんとうの天上へさえ行ける切符」を持っているだろうか。

 

 

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

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銀河鉄道の夜

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